目次
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。 | ||
--新約聖書『ヨハネの福音書』5章39〜40節 |
この書の最大の目的は、その方のもとへわたしたちを導くことにあります。マルチン・ルターいわく、「揺籃へ行くは赤児のためにのみ」。そう、聖書研究とは、聖書研究そのもののためではなく、神さまとの交わりのためのものなのです。
イエスさまの語りかけたユダヤ人は、(略)聖書を持つことはいのちを持つことに等しいと思っていました。ヒレルは「律法(トーラー)のことばを自分のものにした者は、来たるべき世のいのちを自分のものにしたのだ」と言っていました。そのような聖書研究は、研究のための研究でしかありません。ひどい思い違いをしているのです。(略) 聖書を読むことそのもののために読むようになってしまい、イエス・キリストとの出会いが抜けてしまっては、得もなければ益もありません。いつでも聖書を読むときには、熱烈にキリストとの出会いを求めることが大切です。 | ||
--ジョン・R・W・ストット『論客キリスト』(Christ the Controversialist)インターバーシティ出版(InterVarsity Press)、1978年、97ページ、104ページ。 |