他の箇所と調和して聖書を解釈してください。それぞれの節には何と書かれていますか? 章のテーマは何ですか? 書巻は? あなたの解釈は、これらに合いますか? そうでないなら、不備があります。通常、文脈は、正しくその箇所を解釈するのに必要なものを提供します。文脈は鍵です。その文脈の範囲内でテキストを解釈したあと意味の混乱があれば、さらに調べる必要があります。
以前の課で新約聖書『ヨハネの福音書』3章5節について考慮しました。水と御霊によって生まれなければ文脈によると、ここで議論している水とは何でしょう?
水のバプテスマの話ではありません。それだとイエスさまとニコデモの論ずる主題から大きく切り替わることになります。話題の急転に注意してください、解釈が狂うことは解決の糸口かもしれません! 水とは、羊水(「水によって生まれる」=自然の出生)です。
新約聖書『使徒の働き』2章38節《「そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」》これは、洗礼による新生を教えているのでしょうか。関連聖句がこれしかないなら、それが結論となるでしょう。しかし、新生はキリスト信仰によって起こるという他の箇所の明白な教えの光に照らしてみると、それらの箇所のように理解せざるを得なくなります。ペテロは、福音への応答の方法として洗礼を勧めているのです。洗礼がもし新生のための道すじであるなら、どのようにしてパウロは、《キリストが私を遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を、ことばの知恵によらずに宣べ伝えるためでした》と新約聖書『コリント人への手紙 第一』1章17節に書くことができたのでしょうか。